BUMP OF CHICKEN『ギルド』の歌詞の意味を深堀してみる

ギルド
BUMP OF CHICKEN

『ギルド』を聞きこんでいた時期に面白い夢を見たことがありました。

自分の体が透明な容器みたいなものになっていて、呼吸をしていたり動いているのはわかるが、それ以外に自分を特徴づける何かは見当たらない。特にすることもないので、街に出向くと、周りにも同じような物体がたくさんうごめいていてなんだか気色悪い。そんな中、一つ貼紙を見つけるのだが、どうやらその貼紙の案内によると、街の集会所に行けば、自分の体をカラフルに塗ってくれるらしい。早速行ってみて体を塗ってもらうが、どうもしっくりこない。色を変えてくれと頼むと、「この色以外は使えないから嫌なら透明に戻れ」と。腹を立てて透明に戻してもらい、家に帰るけど、何もすることがないから、また集会所に行って色を付けてもらう。しばらくするとその色に飽きるけど、でも透明も嫌だから…と後はその繰り返し。

熱が出たときに見るようなふわふわっとした夢だったのですが、この夢を見てから自分の中の人生観が少しだけ変わった気がしていまして、他者とのつながりが自然と空っぽの器に何かを詰め込んでいってくれるわけで、であればどんなに悲しいことがあっても、何か意味があるんだ、とか気楽に考えられるようになったわけなんです。

仏教の概念でいう「諸法無我」ってやつですかね。藤くんも「消えない悲しみがあるなら 生き続ける意味だってあるだろう」って『HAPPY』の中で歌ってくれてました。

…前置きが長くなりました。なんだか疲れて世界から自分を遮断したいような気分になってしまったときは、呼吸をしているだけの抜け殻になってしまう前に、是非『ギルド』を聞いてみてください。元気が出るという薄っぺらいものじゃなくて、もっと何か大切なことに気づくことが出来ると思います。

「仕事」とは「見返りを求めること」

人間という仕事を与えられて どれくらいだ
相応しいだけの給料 貰った気は少しもしない

いつの間にかの思い違い 「仕事ではない」 解っていた
それもどうやら手遅れ 仕事でしかなくなっていた

「仕事」という行為の醍醐味は「見返りを求めること」に尽きると思います。働いた分だけ対価をよこせってことですよね。人生って本当は、他者と他者が無理やり求め合って意味を見出すものじゃなくて、つながりを持つだけで自然と形作られていくはずのものです。おそらく歌詞の中の人物もそうは知りつつも(真の意味でない)人間という仕事をこなすうちに抜け出せなくなっていったんでしょう。このAメロのあとに流れてくるサビの最初のフレーズが印象的です。

奪われたのは何だ 奪い取ったのは何だ
繰り返して 少しずつ 忘れたんだろうか

汚れちゃったのはどっちだ 世界か自分の方か
いずれにせよ その瞳は 開けるべきなんだよ
それが全て 気が狂う程 まともな日常

こんな不憫な仕事をさせておいて何も与えてくれない世界が憎い一方で、ただ貪るように報酬を求めている自分も醜い、と葛藤する複雑な気持ちを感じさせてくれます。でも、汚れていようが目を凝らそうが、目の前に移る世界は同じままです。「気が狂うほど まともな日常」とは、何とも平易な言葉遣いですが、心に重くのしかかる一節ですね。

腹を空かせた抜け殻 動かないで 餌を待って
誰か構ってくれないか 喋らないで 思っているだけ

人間という仕事をクビになって どれくらいだ
とりあえず汗流して 努力をしたつもりでいただけ

人間らしく存在する、ということが、いかに難しいか考えさせられます。人間が人間らしく存在するためには、自分の中の充足感だけで事足りているのか、それとも「他者とのつながり」のような何か別のものが欠かせないのでしょうか。

自分の弱さと向き合うラストパート

思い出したんだ 色んな事を
向き合えるかな 沢山の眩しさと

美しくなんかなくて 優しくも出来なくて
それでも呼吸が続く事は 許されるだろうか

世界は汚れてしまっているその一方で、自分が求めていた見返りも少しずつくれていたっていうことに実はとっくに気づいていたのかもしれません。それでも2番のAメロのように抜け殻になったり、人間のフリをするような真似を敢えてする。

なぜか?

それは眩しさも与えてくれる世界に自分が相応しいかどうかがわかってしまうのが怖いから。人間を「仕事」として捉えていたのも「仕事」と考えなければ、自分がこの世界から必要とされなくなる恐怖に駆られたものだったのはないでしょうか。「美しくなんかなくて 優しくも出来なくて それでも呼吸が続く事は 許されるだろうか」が、人間の心の奥底にある、生きることへの憂いを見事に体現してくれています。

愛されたくて吠えて 愛されることに怯えて
逃げ込んだ檻 その隙間から引きずり出してやる

汚れたって受け止めろ 世界は自分のモンだ
構わないから その姿で 生きるべきなんだよ
それも全て 気が狂う程 まともな日常

そして大サビのこれまでにない力強いメッセージ。世界がこれからの自分を形作ってくれるように、自分がどれだけ醜くても、世界はありのままを受け入れてくれる。1番のサビで「それ”が”全て」だったものが「それ”も”全て」になっています。どんな姿で生きようが、自分の周りは気が狂うほど変わらない日常がいつも通り過ぎていきます。だから何があっても愛されることに怯えるな、と。本当に力強く優しいメッセージですね。

終わり

以上、BUMP OF CHICKEN『ギルド』の世界観を自分なりの解釈を交えて解説してみました。いかがでしたか?シンプルに言えば、「どんなに悲しいことがあっても、ひとりじゃ生きていけない」ってことだと思います。人って不思議な生き物で、とてつもないどん底に落ちた時に、本来は温もりであったり優しさであったり、外界からの干渉を必要とするはずなのになぜかそれらを遮断しようとするんですよね。でもそういう時こそ、愛されたいと叫んでいいんだと。心が温まります。僕も愛されたい人に愛されたいとしっかり伝え続けたい、そんなことを思う25歳です。最後まで読んで頂いてありがとうございました!