木星、土星、海王星でもオーロラが見られること。
地球以外の天体でも活火山の活動があること。
木星にも環があること。
これらは全て、1977年に打ち上げられた双子の惑星探査機によって発見されました。誰しも一度は名前を聞いたことがあると思います。それが「惑星探査機ボイジャー(voyager)」です。
宇宙で最も孤独で偉大な人工物。調べれば調べるほど魅力が尽きないロマンの塊です。
今回はこの「惑星探査機ボイジャー」についてその誕生からもたらした功績、感動する数々のエピソードまで、分かりやすく網羅します。宇宙に少しでも興味のある方がさらに好きになるきっかけになれば嬉しく思います。
1分でわかるボイジャー
ボイジャーは1977年にNASA(アメリカ航空宇宙局)によって打ち上げられた双子の無人探査機です。2号機が8月に、1号機が9月に続けて打ち上げられました。(2号機が先へ宇宙へ旅立ちました)
元々は木星、土星、天王星、海王星を調査する惑星探査機として打ち上げられました。1990年頃にこれらの惑星探査ミッションを終えた後は、星間探査と言って宇宙の深部で新しい発見をするミッションの下、2020年現在でもより遠くへ運行を続けています。
とっつきやすいエピソードからご紹介
まずはボイジャーを好きになってもらうために、誰でもその凄さが分かる、そしてワクワクするエピソードを集めました!
秒速17kmで旅を続けている
ボイジャー1号の飛行速度は秒速17kmです。時速ではなく秒速です。時速に換算すると61,200km/h…。これだと凄さのイメージが湧きづらいので、分速に戻しましょう。
分速だと1,020km/mです。ちょうど東京駅と大阪駅を結ぶ距離が510kmくらいですから、ボイジャーに乗って東京駅を出発すれば10秒で静岡駅へ、30秒で大阪駅までひとっ飛び。リニアモーターカーでも到底適わない速度です。
人類史上地球から一番遠くにいる人工物
「voyager(航海者、旅人)」の名前に恥じないこの2台の探査機は、人類史上地球から一番遠くにいる人工物です。2020年7月時点でボイジャー1号は149AU、ボイジャー2号は123AU、地球から離れた場所にいます。
は?AUって何?という方の為に解説を。AUとはAstronomical Unit(天文単位)を略した単位で、1AUが太陽と地球間の距離にあたります。
- 1AU = 約1億5000万キロメートル
なので、これら2台の探査機は地球から220億キロメートル離れた場所に今いるんです。人間が作った機械が打ち上げられてから40年間、200億キロの旅を続けているって考えるだけで心が躍りませんか!?
こちらのNASAのウェブサイトではリアルタイムで2台の運行距離が更新されています。仕事で疲れた時に見ると、自分の悩みなんてちっぽけなものだと心が楽になりますよ(個人差あり)。
1光年はどのくらい?
AUより有名な単位が「光年」。AUが約1.5億kmとのことでしたが、1光年はどれくらいの長さなのでしょうか?1光年とは「光が1年かけて進む速さ」です。
光は1秒で地球を7.5周してしまいます。地球が1周4万kmなので、1秒で30万km進む計算になります。なので…30万×60秒×60分×24時間×365.25日=9.5兆km。(4年に1度閏年が入る計算で365.25日となっています)1光年は9.5兆kmです。ちなみに大人の歩行速度は時速4kmと言われているので、ヒトが1光年歩くには27万年かかる計算になります。
伝説の写真「Pale Blue Dot」
今でも電力が途切れることなく40年間飛行し続けているというのが結構な衝撃じゃないでしょうか。
実は生き永らえるためにボイジャーも色々策を講じています。その一つが1990年のカメラの電源オフ。
1990年に木星、土星の探査を終えたあと、ボイジャー1号のカメラの電源は、電力節約の為にシャットダウンされることになりました。ちょっと寂しいですね…。
しかし!このシャットダウンをきっかけに有名な一枚のある写真が生まれたのです。ボイジャー1号は1990年にカメラを電源を切る前に最後の撮影を幾枚か行いました。その中でも一番有名なのがこちらの写真。
こちらは「Pale Blue Dot」と名付けられた1枚で、地球を撮影したものです。地球がどこにあるのかというと、中央やや右上にある白い点が地球です。画面の汚れじゃないですよ。地球です。
このとき、太陽から60億キロメートル離れた場所から撮影されており、これより遠くから撮影された地球の姿は今までのところ存在しません。
ボイジャー計画に深く携わり、カメラ電源のシャットダウン前に撮影を依頼した人物でもある天文学者カール・セーガン(Carl Sagan)は、この写真に強く心を打たれ、以下のような言葉を残しています。
Look again at that dot. That’s here. That’s home. That’s us. On it everyone you love, everyone you know, everyone you ever heard of, every human being who ever was, lived out their lives. あの小さな点をもう一度見て欲しい。あれが地球だ。私たちの故郷であり、そして私たち自身だ。あなたの愛する人が、あなたの知り合いが、そして名前しか知らない人でも何でも、今まで存在した全ての人間が、あのわずかな点の中で各々の人生を生き抜いているのだ。
もうね、涙。
ありがとうボイジャー。ありがとうカール・セーガン。この言葉は自分の人生の中でもベスト3に入るほど、印象的で示唆に富んだメッセージだと感じます。
いつかとんでもなく横暴で自己中心的な上司とかに仕事で出逢ってしまったら、黙ってこの言葉送りつけてやろうと思ってるんですよね。幸い周りには恵まれていてそんな人はまるでいないから、むしろ自分が送りつけられないようにと戒める日々ですけどね、実際は…。humblingにいこう。
Pale Blue Dotは偶然の産物
ちなみに、この写真は撮るべくして撮られたものではありませんでした。元々は、太陽系の惑星をまとめて一枚の写真に収めようという意図で、最後にボイジャー1号が撮影した40枚近くの写真のうちの1枚です。(ちなみにこれを「太陽系家族写真」といいます)結果、木星、地球、金星、土星、天王星、そして海王星の6つを1枚に収めることができました。
ここからは少し詳しく、だけどワクワクする話
グランドツアー構想から生まれたボイジャー
ところで、何故、ボイジャーの打ち上げは1977年だったのでしょうか?これは成り行き上ではなくしっかりとした経緯があります。
時は1964年。日本が前回の東京オリンピックで賑わっている頃、カリフォルニア工科大学院のゲイリー・フランドロ(Gary Frandro)という大学院生が、ある日とんでもないスケールの発見とアイデアを掴んでしまったのです。
その構想の名は、「グランドツアー」。
\やばい、かっこよすぎる!/
どんな惑星でも公転周期が全く同じような惑星はないので、何十年、何百年に一度は惑星が綺麗に並ぶ時期が存在します。これを「惑星直列」というのですが、1983年に木星、土星、天王星、海王星の4つが見事に並ぶ瞬間があったのです。そして1983年の惑星直列に合わせ、1976年から1978年の間に惑星探査機を飛ばすと、非常に経済的な探査飛行が可能になることをゲイリーは突き止めました。
1983年の惑星直列を逃すと、次にこのチャンスが訪れるのは、なんと175年後の2158年。すぐさまこのグランドツアー構想に基づいて「ボイジャー計画」が立案されたのです。
ボイジャー長命の秘密「スイングバイ航法」
このグランドツアー構想を支え、そしてボイジャーの寿命を延ばす鍵となったのが「スイングバイ(gravitational slingshot)」という航法でした。(英語名の必殺技感がすごい)
はて何のことやら?と思った方も絶対に子どものころ、その動きを見たことがあるはず。大抵どこの科学館にもあるアイツです。
ああ!と思ってくれた方がいたら嬉しいな…。そう、科学館のアイツの動きと全く同じ原理でボイジャー1号と2号は、4つの惑星間を進んでいったのです。
「スイングバイ」とは惑星の万有引力を利用して、宇宙機の運動の方向を変える技術です。真空状態の宇宙では、向きを変えるだけでも結構大変なことで、それなりにガスを噴射する必要が生じてしまいます。スイングバイ航法では本来、この方向転換で浪費してしまうエンジンを節約できるのです。
似たような用語「フライバイ」
ちなみに、宇宙のことについて調べていると、「フライバイ(fly-by)」というスイングバイと似たような用語に出くわすことが多くあります。両者はしばしば混同されがちですが、フライバイは「接近通過」のことで、その惑星の軌道に入らず、側を通りすぎることのみを意味します。フライバイと方向転換は関係ないってことですね。
ボイジャー兄弟の旅路まとめ
さてそんなわけで、ボイジャー兄弟の果てしない旅が始まりました。次はそれぞれの功績についてお話ししましょう!分かりやすく一表にまとめてみました。
ボイジャー1号機 |
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ボイジャー2号機 |
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細かく述べるとこれらの他にも色々と発見を残しているのですが、今回は割愛させて頂きます。なんとなく1号の兄貴がインパクト強めの発見、弟の2号機は数で勝負、といったところでしょうか。
それでは功績と共に、2機の旅を詳しく見ていきましょう!
打ち上げ後、1号機が先に木星に到着
実は2号機の方が先に打ち上げられたのですが、1号機は飛行時間のより短い軌道に乗った為、1979年の1月に1号機が、同年7月に2号機が木星に到着しました。(上記の軌跡図を参照)
すると1号機が早速、木星における新しい事実を観測したのです。それは木星の衛星「イオ」に火山活動が起きていたこと。
非常に鮮明な撮影を1号機がしてくれました。これにより、地球以外に火山活動が行われている天体があることが初めて証明されました。
続く2号機が木星に新たな衛星「アドラステア」を発見しました。こちらのアドラステアという惑星、太陽系の惑星の中でも珍しく、自転周期より公転周期の方が短いという興味深い特徴を持っています。
有名な土星の写真はボイジャー2号機による撮影
木星探査の翌年1980年には1号機が、1981年には2号機がそれぞれ土星をフライバイ(接近通過)しました。この時1号機は特に4,000キロメートル近くまで接近し、それまであまり知られていなかった土星の環の複雑な構造を明らかにしました。
また、2号機は10万キロメートルの位置から3つの衛星を含む土星の鮮明な撮影に成功。現代で僕たちがよく見る写真はボイジャー2号機によって撮影されたものなんです。
こういう発見も今、当たり前に見れる鮮明な写真も、ボイジャーがいなければ存在しなかったんですね…感謝です。
ボイジャー兄弟の別れ
さて、兄弟抜群のコンビネーションで木星、土星と大きな発見をしていったボイジャー1号2号。このまま天王星へ仲良くフライバイ…とはいきませんでした。土星を最後に1号機と2号機はそれぞれ全く異なる軌道を描くことになり、互いに別れを告げます。それはどうしてだったのか。解説していきます。
実は元々、どちらも天王星と海王星を訪れる計画はなく、むしろ1号機が冥王星を探査する予定だったのです。
何故、1号機は冥王星へ向かわなかったのか
実は、ボイジャーが打ち上げられた後、別の衛星であるカロンがその冥王星の正体を先んじて明らかにしていました。そしてその発見からは当初推測されていたよりも冥王星が小規模であったことが分かり、ボイジャー1号が冥王星をわざわざ調査することに疑問符がついたのです。
そして冥王星と入れ替わるように、期待が高まったのが、土星の衛星であるタイタンでした。打ち上げ前から、タイタンには大気が存在することが知られており、その調査の重要性が高まっていたのです。
ただ、タイタン調査の為に軌道を変更すると、もはやスイングバイのテクニックは使用することができず、冥王星に接近はできなくなります…。NASAの科学者達は結果として、タイタンの調査を選択。こうして、ボイジャー1号はタイタンに凍った雲や炭化水素の湖や海がある可能性を示唆するにまで至りました。
当初、2号機は天王星以降を進む予算が降りていなかった
冥王星に向かう予定のあった1号機とは逆に、2号機は本来、土星で惑星探査を終え、星間空間へ向かう計画でした。なんと、打ち上げ前には天王星と海王星を調査する予算が降りていなかったようです。
おい!グランドツアー構想を採用しておいてそれはねえだろう!と突っ込みたくなる気持ちにもなりますが…笑
結果的にはこれまでのボイジャーの功績や、プロジェクトチームの懸命な訴えにより、予算を獲得することができ、2号機は1981年に天王星に向けて出発することができました。
簡単にまとめると1980年頃の2機はこんな感じです。
- 1号機「タイタン調査の期待がめちゃ高まってるから俺そっちへ行くことになった!もうそっちに戻れんけどあとよろしく!」
- 2号機「お、マジか了解!ちょうど地球で予算とれたから、天王星と海王星寄っていくわ!」
- 1号機「予算取れてなかったんかーい!あ、そうだカメラの電源切られるから撮影しとこ(→太陽系家族写真、Pale Blue Dotの誕生)」
2号機、天王星と海王星へ
ボイジャー2号機は1986年に天王星へ、1989年に海王星へ最接近しました。それから30年経った2020年現在でもこの2つの惑星を訪れたのはボイジャー2号機のみです。
2号機はそれぞれの接近時に、天王星で衛星を10個、海王星で6個を発見したり、この2つの惑星に磁場が存在し、さらに両惑星とも地球とは異なり、その磁場の中心が惑星の中心からは大きくずれていることを示唆しました。このあたりは詳しくなるとややこしいので今回は割愛します。めちゃめちゃ噛み砕くと、オーロラがそこかしこで見られることを発見できたということです。
天王星の衛星の1つであるミランダには、なんと深さ20km以上におよぶ巨大な渓谷があります。エベレストが2.5個分すっぽりと入ってしまうなんて想像できない…。この発見も勿論ボイジャー2号機によるものです。
2号機最後のミッション「トリトン探査」
そして最後の惑星探査ミッション…海王星の衛星である「トリトン」の調査に向けて2号機が軌道を変更しました。
1号機が最後のミッションとして、土星の衛星であるタイタンに接近したように、2号機も星間空間を目指す前に調査の期待が高まっていた衛星トリトンを訪れることになりました。1989年に40,000キロメートルまで接近した際に2号機はトリトンの地表面の40%を撮影することに成功し、凍った平野や、予想よりクレーターが少なかったことを発見したのです。
これが1号機と2号機併せて最後の惑星探査ミッションになりました。
人類の夢を乗せてボイジャーの旅は続く
いかがでしたでしょうか?ボイジャーが愛される理由が少しでも伝わっていると嬉しく思います。
ですが、ぶっちゃけて言うと重要な発見を残した探査機は「ニュー・ホライズンズ」や「カッシーニ」などボイジャー以外にもたくさんあります。それでは何故ボイジャーがとりわけ、これほどまでに人々の感動を誘うのでしょうか?
それは、ボイジャーが他の探査機では成し得ない、「地球外生命体とのコンタクト」という人類の夢を背負って、今も宇宙を旅しているからです。その夢が集約されているのが「ゴールデンレコード」。最後にこの胸アツなエピソードでこの記事を締めくくりたいと思います。
人類のアルバム「ゴールデンレコード」
ゴールデンレコードは122枚の画像と55の言語で話された挨拶の音声が収録された黄金のディスク。直径30cmほどの大きさで同じものが1号機と2号機の機体の中央部分に取り付けられています。(上の図を参照)
盤面には様々なダイアグラムが刻まれており、収録されているデータには現代の人々の暮らしやこれまでの科学的発見を示す画像、古代のアッカド語での挨拶やChuck Berryの『Johnny B Goode』など、人類が築いてきたあらゆる英知が凝縮されています。これらを手にした知的生命体がどんな反応をするのか…想像もつかないですね。
ボイジャーに「ありがとう」を言いたい
今から数十億年後、太陽は大きく膨らんだ赤色巨星になっていて、地球を黒焦げに燃やし尽くしているだろう。それなのに「ボイジャー」に積まれたレコードはおおむね無傷のまま天の川銀河のどこか遠い所を飛びながら、太古の文明のざわめきを守り続けているのだ。
By Carl Sagan
出典:『ビジュアル大図鑑 宇宙探査の歴史』東京堂出版
こんな地球規模のタイムカプセルが、今も宇宙のどこかをさまよっていると考えるだけで心のざわめきを抑えられません。そして、信じられないほどの孤独の中、このゴールデンレコードを背負って旅を続けるボイジャー…。愛されない理由がないのです。冒頭でも述べましたが、あえてもう一度叫びたい。『ボイジャーは宇宙で最も孤独で偉大な人工物』だと。
きっと果てしなく遠い将来、この直径30cmほどのタイムカプセルが、宇宙のどこかに住んでいる生き物に変化を起こす起爆剤となっているに違いありません。その頃には僕たちはとっくにいなくなっているのでしょうが、願わくは何世代も生まれ変わって、その時にボイジャーに「ありがとう、お疲れ様」と声をかけてあげたいですね。
どうか、この宇宙で最も孤独で偉大な人工物が、これからも変わらずに無事に旅を続けていて欲しいと願うばかりです。
今回はボイジャー愛が溢れまくって、すこぶる長い記事になってしまいました…が少しでも多くの人にボイジャーの魅力が伝われば嬉しいです。最後までお読み頂きありがとうございました!