2019年にBUMP OF CHICKENの名曲と謳われる『ロストマン』が2003年のリリースから16年の月日を経て、なんと「第95回 箱根駅伝」のCMソングに大抜擢されました。メディアへの露出があまり積極的でないBUMP OF CHICKENですが、1996年のデビュー以降、日本を代表する国民的ロックバンドとして私たちの日々の暮らしにBUMPが根付いていることを再認識させてくれた嬉しい選曲でした!
今回のタイアップを通して「ちょっとBUMP聞いてみようかな」と思った方の為に、改めて名曲『ロストマン』の歌詞の意味や解釈を具体的な情報と共に、自分なりに紐解いていきたいと思います。
目次
BUMPメンバーにとっても大事な超大作
歌詞の解釈を始める前にまずは楽曲の簡単な紹介から。『ロストマン』は2003年に5枚目のシングルとしてリリースされました。アルバムには初期BUMPの中でも圧倒的な完成度を誇る『ユグドラシル(2004年)』のラストに収録されています。(インストの『midgard』を除く)
作詞作曲を担当する藤原さんが作詞になんと9か月の歳月を費やしたことで有名なこの曲。楽曲の完成度としても非常に高く、重層的なツインドラムやリバーブの聞いたシンプルなギターリフが聞く人々を『ロストマン』の世界観に没入させます。約9か月をかけて藤原さんが命を吹き込んだ歌詞。その歌詞が求めている最良の音をメンバーが一丸となって思案し続けた苦労が以下のインタビューからもうかがえます。
たとえば“ロストマン”にはドラムがふたつ入ってるんです。ドラムをふたつ入れて曲を作ってみよう、じゃないんです。結果的にそうなるんです。当時の僕がどういうふうにやったかわかんないんですけど、“ロストマン”という曲はそういう曲だったんです。…(中略)…だから、曲が生まれ持った姿に対して僕たちは常に誠実だったんです。曲が、このフレーズがこの音で鳴ってて、その音を求めてるのに、そこに踏み込まないのはやっぱり、違うと。出典:rockin’on.com
そうやって世に放たれた『ロストマン』。多くの人の胸を揺さぶるのは必然だったでしょう。あの邦楽界の大御所「Mr.Children」の桜井和寿さんもこの名曲を「2000年代で最も印象に残った曲」と評し、自身のバンド「Bank Band」にて後にカバーしています。
歌詞全文はこちら
フライングで『ロストマン』の歌詞全文を掲載させて頂きます!こちらです!読むだけで泣きそう…。
状況はどうだい 僕は僕に尋ねる
旅の始まりを 今も 思い出せるかい選んできた道のりの 正しさを 祈った
それでは、歌詞の考察に移っていきたいと思います。
『ロストマン』は「訣別」を歌った曲である
『ロストマン』という曲の説明を極限まで削ぎ落として、ソリッドに一言で表現するなら「訣別」という一つの言葉に集約されるのではないでしょうか。
登場する「君」は自分自身を表している
『ロストマン』には「僕」と「君」の二人が登場しますが、これはどちらも自分自身をメタファーしたものです。
君を失った この世界で 僕は何を求め続ける(1番サビ)
強く手を振って 君の背中にサヨナラを 叫んだよ(2番サビ)出典:『ロストマン』/ 作詞・作曲:藤原基央
では、どのような自分の状態を「君」とラベリングしているのか。あえて平易に表現するのであれば、「パラレルワールドに存在するもう一人の自分」といった感覚でしょうか。人間、生まれてから死ぬまでに数えきれないほど、選択や決断を迫られます。そうやってあらゆる可能性が枝分かれしていく中で「あの時全く逆の決断をしていたら、未来の自分はどうなっていただろう」と思いを馳せる時は誰にでもあるでしょう。藤原さんはこの「可能性」という要素を『ロストマン』の中で「足音」という一語に落とし込んだのではないでしょうか。
いろんな種類の 足音 耳にしたよ
沢山のソレが 重なって また離れて淋しさなら 忘れるさ 繰り返す事だろう
どんなふうに夜を過ごしても 昇る日は 同じ出典:『ロストマン』/ 作詞・作曲:藤原基央
ここで歌われた「淋しさ」というのは、言うまでもなく「君」への淋しさ、ひいては「自分が手放した可能性への憧れ(もしくは後悔)」と解釈することができます。でも、きっとその可能性を手放した自分が存在する世界にも、その可能性を掴んだ「君」が住む世界にも昇る太陽は同じ。寂しかろうが後悔していようが、自分を取り囲む世界は残酷なまでに同じ日常を繰り返し再現します。
「手作りの地図」、そして「動かないコンパス」
何故、自分が手放した可能性への憧れを「僕」は抱き続けるのか。その答えはきっと「何故、地図が手作りなのか」という答えとリンクしているはずです。
破り損なった 手造りの地図
辿った途中の 現在地
動かないコンパス 片手に乗せて
霞んだ目 凝らしている君を失った この世界で 僕は何を求め続ける
迷子って 気付いていたって 気付かないフリをした出典:『ロストマン』/ 作詞・作曲:藤原基央
自分の心を置いてけぼりにして、周囲の期待に応えようとレールに敷かれたような人生の選択をしてきた。主人公はそんな人物なのかもしれない、と最近考えるようになりました。これまで、誰かから渡された既製品の地図を辿ってきた「僕」は、一方で心の奥底で自分で描いた「手作りの地図」をずっと持っていた。今度こそ、自分で選択をするんだという時にも結局はありふれた道を選択してその繰り返し。本来、そんな自分に「手作りの地図」は必要ないということはわかっていつつも、どうしても破り捨てられない。「君」だったらこの手作りの地図をどうやってこれから辿るのだろう。この「手作りの地図」というワードから、主人公のそんな逡巡が垣間見えます。
そして、他者への羨望というのは得てして、自己の独自性というものを雲らせてしまいます。進むべき方向を示すコンパスは動かず、凝らそうとする目は霞んでしまう。捨てきれないそこにあったはずのもう一つの可能性にしがみつくことが主人公を迷子にさせてしまっているように思います。
別れに向き合うことで、理解できることがある
そんなロストマンにもついに訣別の時がやってきます。過去との訣別、そして自分が手にしなかった可能性を手にしたもう一人の自分との別離です。
時間は あの日から 止まったままなんだ
遠ざかって 消えた背中
あぁ ロストマン 気付いたろう
僕らが 丁寧に切り取った
その絵の 名前は 思い出出典:『ロストマン』/ 作詞・作曲:藤原基央
『ロストマン』の仮タイトルが『シザーズソング』であったことは皆さんご存知でしょうか。このエピソードからも藤原さんがCメロに詰め込んだ「切り取った」という言葉の重みを推し量ることができるでしょう。人生の岐路に立たされたその瞬間から迷子になって止まってしまった自分の時間、それを「僕」と「君」が一緒にそれまでの思い出(=過去)を断つことでもう一度動かし始めます。だからこれから先、「踏み出す足はいつだって始めの一歩」なのです。
破り損なった 手造りの地図
シルシを付ける 現在地
ここが出発点 踏み出す足は
いつだって 始めの一歩出典:『ロストマン』/ 作詞・作曲:藤原基央
もしかしたら「僕」はそれまで、「別の選択があった」という魅力に囚われ、「僕自身」が下した決断と「君」が下した決断に真正面から向き合えていなかったのではないでしょうか。それでも、ロストマンは数々の可能性との別離を通して初めてそれらをちゃんと見つめることができました。終わる、離れる、別れる。そんな限りがあることに気づくことで、今自分が向き合っているものの輪郭がはっきり見えてくることもあります。まさに『グッドラック』で藤原さんが歌っているように。
さよならした時 初めてちゃんと見つめ合った
出典:『グッドラック』/ 作詞・作曲:藤原基央
これから先、「君」との再会は訪れない
自分の世界を生き抜くことを選んだ「僕」ですが、これから先、別の選択をしたもう一人の自分とは再会できるのか…。おそらくその答えは「NO」だと思います。『ロストマン』は「再会を祈りながら」という言葉を最後に締め括られます。でもそこに希望があるわけではないのです。
Excite:なるほどね。今作は最後の“ロストマン”で<再会を祈りながら>という希望のフレーズで終わってますが、今まで大切なものを選ぶために捨ててきたものは、いつかまた出会える気がしますか。
藤原:「しません。それに<祈りながら>というのは希望に満ち溢れた言葉ではないと思います。“明日雨が降りませんように”とか“雨が降りますように”なんていう、祈りというのはどうしようもない行為だと思います。それは個人の意志であって、実現するかしないかという決着は付かないというところで“ロストマン”は終わっています。その祈りが叶う叶わないは置いといて、そういう行動を取っている事実。それを書こうとしたんだと思います」
出典:https://www.excite.co.jp/
別の可能性との再会を祈ること。ちょうどそれは「明日、雨が降りませんように」と祈りつつ、傘を鞄に詰めるようなしぐさに重ね合わせられます。自分で祈っておいて、自らその祈りを否定するような自己矛盾で満ち溢れた行動。酷く自虐的ですが、そんなこと叶うわけないじゃないかと思う時ほど祈ってしまうのは悲しい人間の性かもしれません。
「祈る」という行為は願いを叶える為にするものではない
ですが、藤原さんのこの発言の真意はそこにあるとは感じません。祈ることで生まれる強さがあるとも思うからです。
祈ることで何かが変わるわけじゃない。ですが、祈ることでその事実と向き合うことができます。それはちょうど、「雨が降るかもしれない」という事実を受け入れ傘を鞄に詰めるしぐさのように、「祈る」という行為が主人公にとっても、自分が選んだ道を見つめ直し再び歩みを始める原動力になっているはずです。
最後に歌われている「君を忘れたこの世界を 愛せた時は会いに行くよ」というメッセージ。「決断をしたあの日から成長した自分の姿を、胸を張って見せられるように強く生きていけそうだよ」もう一人の自分に対する、そんな力強いメッセージのように聴こえました。
君を忘れたこの世界を 愛せた時は会いに行くよ
間違った旅路の果てに 正しさを祈りながら
再会を 祈りながら出典:『ロストマン』/ 作詞・作曲:藤原基央
自分の人生を疑ってしまう時は『ロストマン』を聞いて欲しい!
以上、僭越ながら、BUMP OF CHICKENの名曲『ロストマン』の解説をさせて頂きました。ちょこっと中二病っぽい言い方になってしまいますが、藤原さんは絶望の中で希望の光を見つけ出すのが非常に上手なアーティストだな、と感じます(笑)。過去と訣別することは酷く悲しいことではあるけど、それによって見えてくるものがある。そして、祈ることで救われるわけじゃない。だけど、そう祈ることがあなた自身の背中を押してくれるんだ、そんなメッセージを『ロストマン』の世界観は伝えてくれます。
きっと僕もこれから先、人生の様々なステージで『ロストマン』を聞く度に、はっと気づかされることがあるんだろうな~と思っています。本当に墓場まで持っていきたい随一の名曲です。皆さんももし、これまで歩んできた道のりを疑ってしまう時が訪れたら、その時は是非『ロストマン』を聞いて頂きたいと思います。自分自身の中で何かが変わるきっかけになれば嬉しいです。最後までお読み頂き、ありがとうございました。