上野駅を新幹線で利用したことのある人なら一度は思ったことがあるんじゃないんでしょうか。
「地下深くにありすぎやしないか」と。
事実、現存する新幹線の駅で地下に建設されているのは全国で上野駅ただ一つなのです。(幻の成田新幹線が実現していれば、今の東京駅の京葉線ホームがその牙城を崩したかもしれませんが…)
何故、上野駅だけが地下に建設されているのでしょうか?
ということで、「上野駅の新幹線ホームは何故地下深くにあるのか」について、備忘録がてら綴っていきたいと思います。
上野駅の新幹線ホームはどうやっていく?
正面改札の右側からどんどん下ります
上野駅の新幹線ホームは中央改札をくぐり右側に進んでいくとすぐに見えてきます!「なんだ!在来からの乗り換えも楽そうだから東京駅より使いやすそう」と思った方はご注意を。ここから地下4階まで下っていくので思っているより時間がかかります…。
上野駅には18番線がない
ちなみに新幹線のホーム番号は19番~22番ですが、在来線のホームは17番線までしかありません。上野駅には現在18番線が存在しないのです。
実は元々、地上ホームに18番線から20番線までがありました。かつて高度経済成長期の春先には、東北地方の若者などを中心に、都内へ就職を求める人々の為に、「集団就職列車」というものが運行されていて、この地上ホームが栄えていたのです。1980年頃に入ってからはこの列車の運行終了と東北新幹線工事が折り重なり、20番・19番線が順に廃止となってその場所の地下に新幹線ホームが建設されました。その後、少し遅れて18番線も廃止になったのですが、その時に新幹線のホーム番号を改番しなかったことから現在の番号になっています。
改札をくぐった後は、エスカレーターを下りまくります。改札を通過してから4、5分は余裕を見ておいた方がいいかもしれません。地下1階の長いエスカレーターを抜けると…
時が止まっていたコンコース
ここが地下3階のコンコースです!夜遅い時間帯とは言え、人の影一つも見当たらないのは正直驚きなところ。こんな地下深くのだだっ広い場所に1人取り残されたらと思うと夜しか眠れないぜ。
せっかくなのでコンコース中をじっくり歩いてみました。90年代から時が止まっている場所がちょくちょくあって、かつての栄華(?)を彷彿とさせてくれます。
そしてホームの地下4階
最後にコンコースをさらにもう1階降りてやっとホームにたどり着きます。ここはなんと地下30メートルの地点!40年近くも前に、こんな地下深くにこれだけ広いホームを造った技術に脱帽です。
それにしてもなぜ、こんな地下深くに新幹線のホームができたのか?そのまま地上に造っても良かったんじゃないのか?これらの疑問を解決すべく、徹底的に調べてみました!
上野駅の新幹線ホームが地下4階にできた理由
本来、上野駅停車の予定はなかった
上野駅の東北新幹線(上越新幹線)ホームは1977年に開業しましたが、実は1971年に東北新幹線建設の計画が国に認可された時点では、上野駅に新幹線停車駅を建設する予定はありませんでした。
1883年に新橋、横浜に続いて誕生した由緒ある上野駅には開業以降、地上ホームには特急列車が、高架ホームには山手線や京浜東北線が次々に乗り入れていきました。また、立地としても西に上野恩賜公園、東に正面玄関の駅舎が既にあり、ホームの拡充が横にも上にも難しかったのです。
当時は、既に東海道新幹線が乗り入れている東京駅をターミナルにしようという機運も高まっていたことも相まって、東北新幹線上野駅の設置は実現しないと思われていました。
様々な要因が重なり、結局建設されることに…
しかしながら、
- それまで「北の玄関口」として名を馳せてきた上野駅に新幹線をなんとしても停車させたい当時の台東区長と住民
- 東京駅が山陽新幹線の開通により停車数が急激に増加し、ターミナルとしての収容量に限界がきていたので、上野駅を東北新幹線のサブターミナルにして解決したい当時の国鉄
という二者の思惑が大きな原動力となり、計画発表当時に予定になかった東北新幹線上野駅は結局建設されることとなりました。しかしながら、ホームの拡充は横にも上にも無理だ…ということで、あのような地下深くにホームが作られるようになったのです。
地下すらスペースを既に奪われていた
それにしても新幹線の乗車ホームは地下4階。地上から30m地下にあるというありさまです。「そんなに地下に作らなくても良かったんじゃ…」という声が聞こえてきそうですが、実は東北新幹線計画発表の時点で既に地下にもスペースがなくなっていたのです。
そうです。上野駅には銀座線と日比谷線が接続されています。開業した年はそれぞれ銀座線が1939年、日比谷線が1961年で東北新幹線の開通よりも前。計画を変更し、いざ新幹線停車駅を作ろうと思ったら地下にも場所がない…結局30mという地下深くに作らざるを得なくなったという顛末でした。
同じようなケースとして、2005年に開業したつくばエクスプレスの上野~秋葉原付近はさらに深く地下約35mに到達するようです。この調子だと東京の地下もとんでもないことになりそうですね…。
ということで、「上野駅の新幹線ホームは何故地下深くにあるのか」について解説致しました!以下の詳しいまとめは気になる方だけお読みくださればと思います!
上野駅新幹線ホームが地上に出現する!?
地下4階の新幹線ホームの下には合計3万トンにも達する鉄の塊が敷き詰められているようです。何故か?上野駅の地下には地下10mほどの高さまで地下水が充満しているらしく、こうした対策を講じないと、なんと地下ホームそのものが地下水によって浮き上がってしまうようです!浮力ってすげえ!
おまけの詳説:上野駅の誕生から新幹線開業まで
ここでは、日本で鉄道が開通したところから上野駅に新幹線駅が設立されるまでの流れを時代に沿って少々詳しく解説していきます。
1872年:新橋・横浜間で日本初の鉄道開通
これは良く知られた話ですが、この年に日本で初めて鉄道が開通しました。
1883年:上野駅誕生!
続けて東北からの物資の輸送を目的に上越・東北方面にも鉄道を敷設する潮流の中、1883年に上野駅・熊谷駅間が開通しました。当初は東京側の起点は上野ではなく品川にすることで、新橋・横浜間に接続する予定でしたが、品川から赤羽に向かうルートが地理的に条件が厳しく、ひとまず上野駅を起点にすることで対処しました。
こうして上野駅が誕生します。最初は勿論、地上にホームが置かれました。これが現在の13番線~17番線の1階ホームの原型になったと思われます。
ということで、当時の台東区民(?)は「俺たちの街が北の玄関口になっちまったぜ!最高だ!」と歓喜します。
1885年~1909年:山手線の原型ができる
上野駅が稼働し始めた後、先ほどの 「品川と繋いで輸送を楽にしようぜ」計画がこの頃から動き出し、品川と赤羽が結ばれるようになりました。これが山手線のプロトタイプで、当時は品川線と呼ばれていました。
そして上野駅は相変わらず栄え、常磐線なども上野駅に乗り入れるようになりました。
「なんか常磐線とかが上野駅に乗り入れるようになったし、品川線も赤羽駅から上野駅まで延伸しようぜ」ということで、上野駅にも山手線が乗り入れ。現在のホームの2階部分、1番線~12番線の高架ホームの原型が出来上がります。
ということで、北の玄関口かつターミナル駅としても、東海道線への経由地としても栄華を誇った上野駅はこの時点で大分手狭になっており、当時の人々がまだ想像だにしなかった新幹線の停車スペースなんてものはとうに無くなっていました…。
1914年:東京駅の誕生
少し視点を東京駅に移します。
「なんかやっぱり品川線遠回りじゃね?新橋と上野直接繋いだ方が短いじゃん。」
「そうだ!どうせ繋げるなら真ん中にすごい駅作って繋げよう!」と思った政府は「中央停車場」として東京駅の着工を開始。1914年に東京駅が誕生しました。東京駅の歴史って意外にも浅いんですよね。
しかしながら、その後の東京駅の目覚ましい発展は皆さんご存知の通りです。時は流れて、戦後の1964年には東京駅と新大阪駅を結ぶ東海道新幹線が、1972年には山陽新幹線が開通しました。
1971年:東北新幹線建設の計画始動!
東海道新幹線に続き、この年に東北新幹線(東京・盛岡間)、上越新幹線(東京・新潟間)の建設計画が発表となります。
しかし、上記でも説明している通り、この計画には上野駅停車の予定はありませんでした。
「東京駅栄えてるし、東北新幹線、上越新幹線も東京駅をターミナルにして、東海道新幹線と直通にしたらいいじゃない!」
「そしたら新幹線は上野駅停まらなくてもいいか!そんな短い区間で停める意味ないからね!秋葉原あたりから上野公園の下通って、日暮里あたりで地上に出るトンネル作って大宮まで繋げよう!」
とまあ、こんな感じで計画が提出されました。でも結構理に適ってるんですけどね…。
1978年:紆余曲折で結局開業
すると、各方面からこんな反応が。
上野駅「…いやもう場所ねーよ!」
そんなこんなで結局あのような地下深くにできましたとさ。後は先ほどまでつらつら書いてきたような流れに沿う感じですね。
ということで詳細な解説も以上となります!普段何気なく使っている駅も、色々と歴史を辿ると様々な人の思いが交錯しながら作られた背景が甦ってきて楽しいですね。それではまた!